私とカール・ラーションとのご縁


なぜスウェーデン?

1993年から94年にかけて高校2年生だった我が家の二男はAFSの留学生としてスウェーデンに留学し、ストックホルム南郊Saltsjöbadenという町のAspegren家に置いていただきました。
息子が大学4年生の夏休み、初めての「里帰り」に同行した私はたちまち大のスウェーデン・ファンになりました。
帰国後すぐに50の手習いのスウェーデン語の勉強を始めました。以後,へたくそながらもスウェーデン語を駆使して、1999年9月(二男に同行)、2006年8月(新婚の二男夫婦とお嫁さんのお母様と4人で)、2008年6月、2010年9~10月、2011年6月、2011年12月、2012年6月と7回の渡航を重ねて来ました。(2013年6月17日~26日までまた行ってきました。Nyheterのボタンからご覧ください)


なぜカール・ラーション?

2008年6月、息子の「スウェーデン父母」と私の3人で「スウェーデン人の心のふるさと」ダーラナ地方をドライブ旅行し「カール・ラーション・ゴーデン」にも連れて行ってもらいました。もともと大好きだったカール・ラーションとその子だくさんの家族が暮らしていたリラ・ヒュットネースに一歩入っただけで、質素でありながらおしゃれなデザインの家具や手織り、手刺繍のクッションやソファーや、陶器類、そして茶目っ気たっぷりな様々な仕掛けのあるこの家が大好きになりました。どの部屋からも、にぎやかな子供たちの笑い声が聞こえて来るような気がしました。スウェーデンの童話作家アストリッド・リンドグレーンがその著作「やかまし村」シリーズのヒントをカール・ラーションの家族から得たというのも、なるほどとうなずけることだと思いました。
また、日本への並々ならぬ興味のほどがうかがえるような、浮世絵、日本画、陶器、仏像、日本人形などのコレクションにも大きく心を揺さぶられ、圧倒されました。
ミュージアム・ショップに置いてあった「Resan till Carl Larsson Gården」という絵本はスウェーデン語クラスでテキストに使ったものですが、おじいちゃんが孫二人をカール・ラーション・ゴーデンまでサプライズ・ドライブに連れて行くというストーリーのなかに巧みにカール・ラーションとカール・ラーション・ゴーデンの紹介がしてあります。
2006年に夫を亡くしたばかりだった私は、この物語のおじいちゃんに夫の姿が重なり、なんとか翻訳したいと思うようになりました。

絵の中でクリックすると、表紙の日本語訳が出ます。

拙訳書「カール・ラーション・ゴーデンを訪ねて」は
2013年 Nordic 出版より出版されることになりました。


訃報
Nordic出版社社長のLe Grand 塚口淑子さんは
2013年9月4日ストックホルムにて急逝されました。
2012年12月の時点では上記のように決まっておりましたが、
著作権者(物語の作者スティーグ・オー・ブロンベリ氏の遺族4人)
との話し合いもついていない状態ですので、2013年中の出版の見通しはつかない状態です。

続報
「カール・ラーション・ゴーデンを訪ねて」は2012年12月の時点で訳了、3校までの校正も終えておりましたが、上記のような諸事情により、まことに残念ながら正式出版の目途は全く立たなくなってしまいまいました。カール・ラーションを愛する皆様にこの絵本はとても良い手引き書ですので、「友の会」の入会金(¥3,000)をお振込くださった方には「手作り非売品」バージョンを2冊差し上げることにしてはどうかと思い考慮中です。ご希望の方は「Kontakt 連絡先」のアドレスからメールにてお申し込みください。入金先をお知らせいたします。
ご入金の確認が取れ次第、発送させていただきます。



カール・ラーションの孫のカーリンさんと私の交流


翻訳のため何度か現地に足を運んだり、リラ・ヒュットネースを再訪したり、カール・ラーション関係の本をスウェーデン各地の古本屋さんで買い集めました。そのうちスウェーデン語クラスの友人からラーション夫妻の四女シェスティ(Kersti)の三女カーリンさん(以後孫Karinと表記します)を紹介していただき、私が恐る恐る出した、たどたどしい手紙に思いがけずご丁寧なお返事をいただき知己を得ることができました。
孫カーリンさんからの紹介で2010年9月には、この絵本の中の登場人物と同じように、カール・ラーションの末息子エスビョーンの息子のラーシュさんに一般のガイド・ツアーの人たちとは別に案内していただき、疑問に思っていたことを直接尋ねることもできましたし、戸棚の中なども見せてもらえました。
二男のホスト・ファミリーのアスペグレンご夫妻が自宅を使わせてくださり、、孫カーリンさんご夫妻をご招待し、私の日本料理でおもてなしをしました。その際2000年から2001年にかけて日本各地で開催された「グレー村の画家たち」という展覧会の図録を、わざわざ持参してくださったカーリンさんが児島虎次郎画伯の描いた「グレー村の風景」の絵の中のグレーの橋をさして「この橋の上で私のおじいさんと、おばあさんは運命の出会いをしたのよ」と教えてくださいました。
倉敷紡績の創業者大原孫三郎氏からの依頼で大原美術館のコレクションの買い付けをした、私の郷里岡山の画家の名前がいきなりラーションのお孫さんの口から出たことで、私は自分が時空を超えた運命的な瞬間に身を置いていることを感じ、震えが来るほどの感動を覚えました。


児島虎次郎「グレー村の風景」 1908(明治41)年頃作油彩(岡山県高梁市成羽美術館所蔵) 
右端にカールとカーリンが出会った橋が描かれています。




ユリア・ベック展の解説書


Mora(モーラ)のZornsmuseum
(アンダーシュ・ソーン美術館
パリ郊外のグレー村は北欧やイギリス、アイルランド、アメリカ、カナダなどからフランスへ留学していた画学生のコロニーのようになっていたところで、黒田清輝が滞在したことからその後、浅井忠、久米桂一郎、和田英作、安井曾太郎ら多くの日本人留学生が滞在するようになりました。この地の「オテル・シュヴィヨン」「パンション・ローラン」という二つのホテルを拠点に、画家だけでなく、「宝島」の作者でイギリス人のロバート・ルイス・スティーブンソンや、カール・ラーションの誘いで逗留し親交を結んでいたスウェーデンの劇作家ストリンドベリらも交えた国際的な芸術交流の場であったと思われます。(ストリンドベリとラーションはその後仲違いをすることになります)
後にカールの妻となるカーリン・ベリヨーらスウェーデンからグレーに行った四人の女子留学生の中のリーダー格だったJulia Beck(ユリア・ベック)の作品展が2012年6月~9月までダーラナ地方Mora(モーラ)の町のAnders Zorn(アンダーシュ・ソーン)美術館で開催されており、ちょうどその時期スンドボーンに滞在していた私は孫カーリンさん、ダヴィッドさんとともに訪れました。Julia Beckは生涯独身を貫き、フランスに永住し、1934年にはレジョン・ド・ヌール勲章を授与されました。故郷を離れて、絵の制作に励み、高い評価を得た彼女のことを「viljestark kvinna(意志強固な女性)」と解説書に記述されていたのが大変印象に残りました。
孫カーリンさんはJulia Beck の描いた作品の前で、「Yoshiko 見てごらんなさい。ほら地平線、水平線が絵の真ん中にあるでしょ。これが日本画の影響なの。それまでのヨーロッパの絵ではそういうことはなかったのよ」と説明してくださいました。(右の写真の美術館外壁にかかかっているポスターを参照してください)

エスビョーンの息子、ラーシュさんにカール・ラーション・ゴーデンを案内してもらう日の朝
スンドボーン教会を訪れラーション家のお墓にお参りをしました。
2010年9月25日撮影

カール・ラーションと児島虎次郎がグレーに滞在した時期は重なっているわけではありませんので、直接の交流はなかったのかもしれませんが、私は倉敷の児島虎次郎記念館で「ストックホルム風景」の絵を見るたびに 「パリの後ベルギーのゲントの美術学校に行っていた事は知っていたけれど、どうしてストックホルム?」 といつも思っていましたが、おそらくグレー滞在でできたご縁でスウェーデンにも足を運ばれたのでしょう。
縁といえばもう一つ、カール・ラーションがついの棲家としたダーラナ地方でよく見かける木造の家は「ファールン・レッド」と呼ばれる赤い塗料で塗ってあります(上の写真のスンドボーン教会の外壁参照)。これはファールン銅山の鉱滓から作られる塗料で、木材を腐食させない作用があるので100年以上たっている木造家屋がたくさん残っています。児島虎次郎の郷里岡山県の成羽にも銅山があり、その鉱滓(ベンガラ)を塗った赤壁の古い木造家屋が現存しています。児島画伯はスウェーデンを訪れた際にこの「ファールン・レッド」の木造家屋を見て郷里の景色をなつかしく思い出したそうです。

 

スサンヌトとシェスティがバターつくりをしてい
る絵(写真をクリックすると絵が見られます)で有名な台所でグンボリさん手つくりのケーキで fika (スウェーデン人の大好きなコーヒータイム)しました。
2010年9月25日撮影

アスペグレン家でのディナー
左からDavid , Anita Aspegren , Karin , Ulric Aspegren

アボガドのおかかまぶし、肉じゃが、エビと玉ねぎとイタリアンパセリのかき揚げ、手巻き寿司、杏仁豆腐。
調味料は持参しましたが現地で調達できる食材で「日本料理もどき」をと思いがんばって作りました。
2010年9月28日撮影

2011年6月には孫Karinさんとご主人のDavidさんが5月から8月末まで滞在しているスンドボーン村Spadarvet(スパダルフェット・・・カール・ラーションが後に買い足した農園付き地所)のKersti通りにあるsommarstuga(別荘)に「ゲストとして迎えたいから」というありがたいお申し出を受け、3泊させていただきました。
午後のお茶は2階のベランダで、夕食は外の大テーブルで、朝食は別な小さい方の外テーブルで、そしてmidsommarafton(ミッドソンマルアフトン―夏至の前の日のお祝い)は、孫Karinさんのお母様のKerstiのお身内だけのパーティに入らせていただき、夢見心地の時間を過ごして来ました。
広いお庭に大きなテントを張って、40人以上のお客様でした。「Skål! スコール!(乾杯)」と言ってはアルコール度40度以上のアクアヴィットを一気飲みし、飲みすぎないために、歌を歌ったり、スタンディング・コメディのようなことをやったり、楽器を演奏したり、そして3時にダンス広場でmajstongen(メイポール)が立つのをみんなで見に行きました。
私は日程の都合でその日ストックホルムに帰らなければならなかったので、majstongenの周りを少し回っただけで、KarinさんDavidさんと手をつないでダンスの輪から抜けてファールンの駅まで車で送ってもらいました。
ガラガラの電車の座席まで見送りに来てくれた孫Karinさんに「midsommaraftonの日にダーラナからストックホルムに帰るのはあなただけじゃないの!」と笑われました。
 
「kersti シェスティ通り」
末娘シェスティ一家が住んでいた家は標識の方向
に草むらの中の野道を下りたところにあります。



シェスティの家の前でバイオリンを演奏する
カーリンとペッレ
ミッドソンマルアフトン
のパーティでスタンディング・
コメディをするひ孫兄弟

ミート・ボールとソーセージを
洗濯ばさみで耳に付けて
イアリングにしています。
(上)スンドボーン村の
メイポール立て

(下)スンドボーン村の
 民族衣装の孫カーリン
 と伝統音楽家ペッレ
2011年6月24日撮影

孫Karinさんはスズキ・メソッドのバイオリンの先生として来日経験がありますし、1994年日本で「カール・ラーション展」が開催された折にも来日なさいました。
ご主人のDavidさんはチェロ奏者としてストックホルムに本拠のあるMazer室内合奏団のメンバーとしてご活躍の方です。
2011年12月の訪瑞時には、MazerのSpel Afton (演奏会) を聴き終了後のクリスマス・パーティにもご一緒させていただきましたし、ストックホルム滞在中たびたびDanderydsgatan(ダンデリーズ通り)にある、ご夫妻の風格あるアパートに招んでいただきました。

孫Karinnさんのストックホルム
Danderydsgatanの自宅のKerstiコーナー。
Kerstiさんとご主人のAxel Friebergさんの
写真や思い出の品々が飾ってあります。

肖像画はもちろんCarl Larsson作。
自宅でバイオリンとチェロを演奏してくださる
孫KarinとDavid夫妻


(2011年12月8日)

そして、2012年6月には再びSundborn村で6日間を過ごしてきました。
今度はちゃんとmidsommardagen(夏至)が終るまでいました。
 
伝統的なスウェーデンのごちそうが並んでいます。お料理はカーリンさんのお兄さんのご家族が作ってくれます。






パーティのプログラム
一段と本格的に手作りされていました。



50~60人は座れる大きなテントSpadarvet(カール・ラーションが1897年に購入したリラ・ヒットネースに隣接する農場付の土地)の広場に張ってのパーティ。
青と白はカーリンの好みの配色です。
       
3時からのmajstongen(メイポール)立て。
立った後は周りでみんなで踊ります。
村によってメイポールの形はいろいろですが、Sundborn村のはカール・ラーションがデザインしたものです。


4時からのfika
ミッドソンマルのお約束のいちごのケーキ 
スウェーデンのいちごは、夏至祭の頃から街頭の「いちご小屋」で売り出しが始まり、新聞記事になるほどです。

 
メイポール立てのバックで演奏をしていたペッレもパーティにやってきました。
Pelle Gustafson はriksspelman
(国認定の伝統音楽演奏家)ですし、
孫カーリン、ダヴィッド夫妻の音楽仲間
でもあります
   
白樺の木の左側が私の家主Khilströmさんの自宅。
右側の青いドアが私のお部屋(右の写真の家)
私のためにカーリンさんが借りてくださったKhilström
(シールストローム)さんのペンション 
   
観光名所カール・ラーション・ゴーデンのど真ん前には水力発電所があります。
まったく景観の邪魔にならないこの建物がダムだったということに気付いたのは、2011年6月に3度目の訪問をした時でしたが、それもそのはずカール・ラーションがデザインしたものでした。
(2012年6月21日撮影)

スンドボーン滞在最後の日にカーリンさんのsommarstuga
(別荘)の前で。
入口にかかっているスウェーデン国旗はダヴィッドさんが中学の家庭科の時間に手縫いで作った作品です。
(2012年6月24日 タイミング良くやって来た ペッレ撮影)

 
ラーション家の家系図


行ったこともない日本のことを「日本は芸術家としての私のふるさと」とまで書いたほど好きだった
カール・ラーションのお孫さんだけあって、孫Karinさんも日本も日本人も大好きという方です。
おかげさまで私にも信じられないぐらい親切に優しくしてくださいます。
ちなみにカーリンさんは「私はNo.5」とおっしゃっていました。Ulla-Brita(姉)、Anders(兄)、Marit(姉)、Ulf(兄)のあとの末っ子です。また「私はおばあさんと名前も同じだけど『じゃがいも鼻』も同じなのよ」と笑いながら、でもちょっと誇らしげに話しておられました。

絵本の翻訳を通じて学んだカーリンとカール夫妻のこと、カール・ラーション・ゴーデンのこと、彼らを生んだスウェーデンという国のこと、などへの興味を共有できる仲間を増やしたい一心で私はこのホーム・ページを作成しています。
カール・ラーションが好きな方はもちろん、これから好きになろうと思っていらっしゃる方、どんな画家なのか興味をお持ちの方、どうぞ会員になってください。
  
 (2011年11月作成記事)

 För kvinnan som älskade konst och sin familj och blommor ,
vill jag dedicera Karin Larsson japanska blommor
芸術と、家族と、花をこよなく愛したカーリン・ラーションに日本の花々を捧げます 


スパダルフェットに植えた「なでしこ」から芽が出ました


写真をクリックすると大きい画像が見られます
なつすいせんひおうぎはまゆうはぎ Planterade jag
japanska Nadeshikos
frö i Spadarfet.
Graven av familjen
Larsson.

ラーション家墓地の
カーリンの名前のところ



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